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2009年04月 アーカイブ

2009年04月04日

拍子木(ひょうしぎ)

拍子木(ひょうしぎ)とは、「拍子」を取るための木の音具。柝(き)。手に持って打ち合わせると、チョーン、チョーンと高い澄んだ音が出る。日本では古来様々な用途に用いられてきた。

紫檀、黒檀、花梨、樫など堅い木材を細長い四角の棒状に切り、2本1組にして紐で男結びにしてつなぐ。 紐は長めで、使わないときは自分の首にかけてぶら下げておくことができる。 紐を結ばない「かまぼこ型拍子木」もある。歌舞伎などの演劇では「ツケ」と呼ばれ、二本を打合わせるのではなく、床に置いた板に打付けて使用することが多い。2本組であることが基本で、数え方の単位は「組」「対」である。

楽器として [編集]
雅楽、祭りのお囃子などのほか、インストルメンタルなど、現代音楽でも打楽器として用いられることがある。

相撲で [編集]
「呼出し」が拍子木を打って、力士の名を呼ぶ。大相撲の呼出しが使う拍子木は、桜の木が使われている。

舞台で [編集]
人形劇や歌舞伎では、開幕、幕切れ、役者の登場などに拍子木が重要な役割を持っていた。「回り」「二丁」「止め木」「つなぎ」など。

紙芝居で [編集]
昭和初期から30年代にかけて下町で人気のあった街頭紙芝居屋は、自転車で町々を回って、 拍子木を打ち鳴らし、子どもを集めて飴を売り、紙芝居を見せた。

夜回り、夜警 [編集]
警防団や消防団などが夜、見回る時に、 「戸締り用心、火の用心」と声をあげながら、 拍子木をカチカチッと打ち鳴らして歩く。

宗教行事 [編集]
祭礼
山車の運行に、拍子木の音によって、止まれ、ススメ、回れ、などの合図をする。 拍子木を使う進行役自身が「拍子木」と呼ばれることもある。

仏教など
宗派によっては、読経の折などに拍子木で拍子をとることがある。

関連用語 [編集]
料理法:拍子木切り
野菜などを小さく細長く、拍子木状に切る方法。 おおむね1cm角で長さ5cm程度に切る。 根菜類を揚げ物や煮物にする場合に使われることが多い。 なお、千切りはこれよりもっと細く、短冊切りは平たく切る。

妖怪:送り拍子木
夜、江戸の町角に人の姿は無く拍子木の音だけが響くとき、人々は「送り拍子木の妖怪が出た」と考えた。

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2009年04月18日

新田開発と用水路

近世になると稲作技術が進展し、石高の向上を競った諸藩の大名などにより新田開発が盛んに進められるようになるが、稲作に欠かせない水の確保が課題となり、川などからの引水が難しい内陸部へ農業用水を引くための用水路が各所に造られるようになる。

特に、天正年間に豊臣秀吉の傘下で関東へ転封された徳川家康は、江戸周辺での新田開発に注力する。小泉次大夫(こいずみじだゆう)を用水奉行に登用し、多摩川流域の扇状地に灌漑用水路を巡らせたことで新田開発が進み、米の生産量を大幅に伸ばすことに成功した。これにより、後に幕府が置かれ、当時は世界一の人口密度であったといわれる江戸の台所を支えた。

工業開発と用水路
明治以降、日本でも興る産業革命に伴い工業用水の需要が急速に高まり、工業用水路の整備が盛んになるとともに、人口密度増加などに伴う水道整備や、発電用などにも使われるようになり、いわゆる「日本三大疏水」をはじめとする大小様々な規模の多目的水路が造られ、これらの水路が各地の近代化を支えた。 なお、これらの水路には、当時の運送の主力であった船舶を通すための運河として使うことを想定に加えるものもあった。

市街化と用水路
近年になるとますます大都市圏への人口集中が進み、大都市周辺では急速に都市化・宅地化が進むようになる。すると農地や工場用地は宅地へと転用され、農業用水・工業用水としての利用が減少する反面、近年急速に造られた放水路と同様に、用水路は雨水や生活排水の排水路としても使われるようになってゆく。

また、更なる土木技術の進展によりトンネル工事が比較的容易になると、新たに造られる用水路(導水路)や放水路は次第に地下に造られるようになってゆき、また既存の用水路も道路用地として利用するためにフタがされ暗渠化されるなど、その形態も大きく変化してゆく。

いっぽう、最近になると自然環境の見直し機運が高まり、用水路は河川と同様に近隣住民の憩いの場として位置づけられるようにもなった。殺風景なコンクリート護岸を再改修し緑道や親水公園などを整備したり、水の浄化設備や引水設備を設けるといった工夫が各所で試行されている。

自然環境の中の用水路
日本の近世以前の用水路は、主に農業用水路として使われており、また土を掘って踏み固めただけのものであることが多かった。その形態は自然河川に近いものがあるが、ただし利水のための水路であるが故に頻繁に人手が入り、また渇水や人間の水利用によってその水量にも大きく影響を受ける、特殊な環境であった。

しかし、日本に灌漑農業が導入された弥生時代以降 2〜3千年の間に、この特殊な環境に巧みに適応し、農業用水路の環境を生活に組み込む生物が数多く存在する。 まず、比較的流れが緩やかで水深が浅く日当たりが良いため、プランクトンやコケなどの生育がよく、また土の河床ではミミズなども生息可能で、それを食糧にするタニシやオタマジャクシ(カエルの幼生)、魚類のメダカやヨシノボリなどが住み着く。すると、それを捕食する甲殻類のザリガニ、昆虫のタガメやヤゴ(トンボの幼生)などの生活を支える。さらに、それらを捕食するコウノトリやサギなどの生活も支える。人為的に造られた環境が、長い年月をかけて自然と一体化し、里山のそれと同様に、独特の生態系を築き上げてゆくこととなった。

なお、農業用水路における生態系は水田とほぼ一体であり、用水路と田を行き来して生活するものも多い。併せて田#環境としての「田」も参照のこと。

ところが、明治以降の近代になると、この状況が急激に変化する。土木技術の進展に伴う水路のコンクリート護岸化や、堰による水路の分断、暗渠化による日光の遮断、田畑での農薬利用などにより、稲作と共生してきた生物はその生活環境が激変し、生命が脅かされることとなる。さらに近年の都市化による生活排水・工業排水の流入や田畑の宅地化が追い打ちをかけ、その結果、かつてありふれた存在であったメダカやタガメなどが日本人の生活から姿を消し、さらには食物連鎖でその上位にいたコウノトリやタンチョウなども姿を消しはじめ、それぞれ現在では絶滅が危惧されるまでになり、トキのように絶滅したものも少なくない。裏返せば、彼等はそれだけ日本人の稲作文化と共生していたのである。

メダカ等の絶滅危惧種指定は、稲作文化が支えた生態系の存在を日本人に認識させることとなり、現在はたとえば兵庫県豊岡市でコウノトリが生活できる稲作環境を保全するといった取り組みにつながってゆく。経済と生活環境の共存は、現代社会における課題のひとつとして認識され、各所で取り組まれはじめている。

日本の主な用水路
( )内は完成または供用開始年と水源(水系)、現在の流域自治体。複数の都道府県をまたいで流れる用水路の場合、区間が長いほうの都道府県の項目にいれる。

北海道・東北地方
真駒内用水(1879年、真駒内川、北海道札幌市)
北海幹線用水路(1929年、空知川、北海道空知支庁)
安積疏水(1884年、猪苗代湖、福島県郡山市)

関東地方

茨城県
小場江用水(1656年、那珂川、茨城県常陸大宮市 - ひたちなか市)
霞ヶ浦用水(1994年、茨城県)

栃木県
蟇沼用水(江戸時代慶長年間、蛇尾川、栃木県那須塩原市)
巻川用水(1647年、熊川、栃木県那須塩原市)
木ノ俣用水(1765年、那珂川、栃木県那須塩原市)
穴沢用水
山口堀
新木ノ俣用水
徳次郎用水(1827年頃、田川、栃木県宇都宮市)
宝木用水(1859年、徳次郎用水、栃木県宇都宮市)
新川(1894年、宝木用水、栃木県宇都宮市 - 下野市)
那須疏水(1885年、那珂川、栃木県那須塩原市)

埼玉県
野火止用水(1655年、玉川上水、埼玉県新座市)
葛西用水路(1660年、利根川、埼玉県行田市 - 東京都足立区)
見沼代用水(1728年、利根川、埼玉県行田市 - 東縁西縁分岐点)
見沼代用水東縁 (東縁西縁分岐点 - 東京都足立区 )
見沼代用水西縁 (東縁西縁分岐点 - 埼玉県川口市 )
高沼用水(埼玉県大宮市 - さいたま市)
高沼用水東縁
高沼用水西縁
辻用水(埼玉県川口市 - さいたま市)
戸田用水(埼玉県川口市 - 戸田市)
新曽用水(埼玉県川口市 - 戸田市)
大里用水(熊谷市・深谷市)
御正(堰)用水
吉見(堰)用水
成田(堰)用水
大麻生(堰)用水
玉井(堰)用水
奈良(堰)用水
備前渠用水(県西北部)
蕨用水(蕨市)

神奈川県
二ヶ領用水(1611年、多摩川、神奈川県川崎市)
荻窪用水(1802年、早川、神奈川県箱根町 - 小田原市)

東京都
六郷用水(1611年、多摩川、東京都狛江市 - 世田谷区 - 大田区)
大丸用水(江戸時代初期、多摩川、東京都稲城市 - 神奈川県川崎市多摩区)
玉川上水(1654年、多摩川、東京都羽村市 - 新宿区)
千川上水(1696年、玉川上水、東京都西東京市・武蔵野市 - 豊島区)
アイス スノー ランブ トリック フレデ マーチ シュテム マイウェイ ショナリー トーゴ ミクシィ スロット キール ビターオ キニン バイテク スタチン マジソン ピンドル オスカー 夏のロ ティハリー シンフォ ピョン ウムドン オマーン ミートボガ トッポッ ニズム スタン ベンジャ ダイヤ ランマ 大正琴 ガザ二ア ダイマー コットン ハラシ 道のむこ ショア マルク だいとう クーポン ピューリ チダー キシリ アンゴ ゆかいな スター ハニー

千葉県
大利根用水(1950年、利根川、千葉県)
両総用水(1965年、栗山川、千葉県)
房総導水路(1997年、両総用水、千葉県)
北千葉導水路(2000年、利根川、千葉県)

中部地方

新潟県
中江用水(1678年、関川水系)

石川県
辰巳用水(1632年、犀川、石川県金沢市)

山梨県
徳島堰 (1670年、釜無川、山梨県韮崎市 - 南アルプス市)

長野県
芋川用水(1603年頃、鳥居川、長野県信濃町 - 飯綱町)
新田堰 (1608年頃、梓川、長野県安曇野市)
矢原堰 (1654年、犀川、長野県安曇野市)
勘左衛門堰(1685年、奈良井川、長野県松本市 - 安曇野市)
拾ヶ堰 (1817年、奈良井川、長野県松本市 - 安曇野市)

岐阜県
西濃用水(1984年、揖斐川)
席田用水(1530年、根尾川、岐阜県本巣市 - 岐阜市)
曽代用水(1675年、長良川、岐阜県美濃市 - 関市)

静岡県
三方原用水(天竜川)
大井川用水(大井川)

愛知県
豊川用水(天竜川水系 - 豊川水系、愛知県新城市 - 田原市)
明治用水(1890年、矢作川、愛知県豊田市 - 刈谷市)
愛知用水(1961年、木曽川水系、岐阜県八百津町 - 愛知県南知多町)
濃尾用水(木曽川水系、木津用水、宮田用水、羽島用水を主幹とする用水網の総称)
木曽川用水(木曽川)

近畿地方

三重県
三重用水(1984年、木曽川水系)
宮川用水(1982年、宮川、多気郡大台町 - 伊勢市)

京都府
琵琶湖疏水(1890年、琵琶湖、滋賀県 - 京都府)

中国・四国地方
香川用水(吉野川、高知県 - 香川県)
麻名用水(吉野川、徳島県)
吉野川北岸用水(吉野川、徳島県)
南予用水(肱川、愛媛県)

九州・沖縄地方
福岡導水
両筑平野用水
矢部川下流用水

2009年04月22日

ヴェストファーレン条約

ヴェストファーレン条約(独: Westfälischer Friede 英: Peace of Westphalia)とは、三十年戦争の講和条約で、ミュンスター条約とオスナブリュック条約の総称である。日本ではヴェストファーレン条約を英語読みでウェストファリア条約と呼んでいる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。

この条約によって、ヨーロッパにおいて30年続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序をウェストファリア体制ともいう。

1648年10月24日に、ヨーロッパのほとんどの大国が参加して、現在のドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州にあるミュンスターで締結された(実際にはオスナブリュック条約もミュンスターで締結された)。取り決められた内容は膨大だが、代表的なものとして以下の事柄が挙げられる。

起業・老人ホーム関連経済支援紹介
引越し・リラクゼーション関連よくばり生活情報
治療・生活習慣病関連最新の健康総合
家電・癒し関連ショッピングサロン情報
学習指導・教育関連学習ひろば検索エンジン
デートスポット・地域産業関連旅行・宿泊情報総合
ネイルケア・メイク関連美容・コスメショップネット
転職・ネットビジネス関連マネー経済検索エンジン
プレゼント・生命関連住まい生活情報
リラクゼーション関連最新の健康サイト

フランスは、アルザス地方と、ロレーヌ地方のメッツ、トゥール、ヴェルダンを獲得した(神聖ローマ帝国からの離脱を確認)。
スウェーデンは、フォアポンメルン公位(ポンメルン西半。オーデル川河口、ヴェーザー川河口を含む)、ヴィスマール市、ブレーメン公位(旧大司教)、フェルデン公位(旧司教)などを獲得した。
スイス、オランダ(ネーデルラント連邦共和国)は、独立を承認された(神聖ローマ帝国からの離脱を確認)。
ブランデンブルク選帝侯は、ヒンターポンメルン公位(ポンメルン東半)を獲得した。
アウグスブルクの和議の内容を再確認、カルヴァン派を新たに容認した。
神聖ローマ帝国内の領邦は主権と外交権を認められた。
一方皇帝は、法律の制定、戦争、講和、同盟などについて帝国議会の承認を得なければならなくなった。
議会及び裁判所におけるカトリックとプロテスタントの同権が規定された。
バイエルン公マクシミリアン1世は、与えられた選帝侯位はそのまま認められ、またプファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒは選帝侯位を新たに与えられた。旧プファルツ領は両者で分割され、バイエルン選帝侯はオーバープファルツを獲得した。なお、バイエルンとプファルツが統合された場合にはプファルツの選帝侯位は消滅することとされた。
この結果、フランスは、アルザス・ロレーヌへの勢力拡大に成功し、スウェーデンは帝国議会への参加権を得た。一方、ドイツでは領邦主権が確立し、領邦君主による連合体としてのドイツという体制が固まった。

この条約の成立によって、教皇・皇帝といった普遍的、超国家的な権力がヨーロッパを単一のものとして統べる試みは事実上断念された。これ以降、対等な主権を有する諸国家が、外国の存在を前提として勢力均衡の中で国益をめぐり合従連衡を繰り返す国際秩序が形成された。この条約によって規定された国際秩序はヴェストファーレン体制とも称される。

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