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秀就らと極秘に佐野道可

大坂冬の陣の際に毛利秀元が輝元・秀就らと極秘に佐野道可を豊臣方に派遣し、しかもこの事実を広家や他の重臣には一切秘密にしていた事を知った広家は激怒して慶長19年12月22日に隠居して子の広正に家督を譲り、福原広俊もこの問題の処理後の元和2年(1616年)に藩の政務から退いた。以後、藩政は秀元と益田元祥・清水景治らによって運営される事となる。既に豊臣政権において独立した大名として認められていた秀元は長府毛利家の家格上昇を図りながら、藩政運営を行うことになり、対立関係にあった吉川家の勢力削減を目論んだ。元和の一国一城令を理由とした岩国城を破却などもこうした秀元の政策に基づくところが大きい。こうした秀元の方針に対して吉川広家は表立っては沈黙していたものの、福原広俊らとともに秀元への対抗姿勢を示している。

なお、秀元が関ヶ原における広家の観望反覆すなわち利敵・裏切り行為を厳しく咎めた(もっとも、「吉川氏」とはのち共同歩調を取ることもあった)。毛利家臣団からも「裏切り者」「本家を売った男」として彼を深く憎悪する視線が集中して、吉川家の陪臣としての処遇は幕末まで続くことになったとされている。

だが、毛利両川体制の基本は天下の趨勢が見定められない場合には、吉川家と小早川家(同家消滅後は穂井田家系の長府毛利家)が相別れる事となっており、広家はその路線に忠実であっただけである。逆に大坂の陣の際には秀元の方が豊臣家への義理を立てて佐野道可を派遣したことにより、関ヶ原における広家と全く同じ事をしているのである。

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2008年12月11日 17:08に投稿されたエントリーのページです。

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